「」菓 子1609年(慶長14)、加賀前田家2代当主前田利長は加賀・能登・越中(石川県・富山県の範囲)を治めるため、水陸交通の要衝に高岡城を築きます。これが高岡の始まりです。しかし、5年後に利長は亡くなり、高岡城も廃城となります。武士が金沢に引揚げ、町は廃れますが、3代当主利常は、高岡を商工業の町として復興させました。高岡は交通の要衝である立地を生かし、「加賀藩の台所」として藩の流通の一翼を担いました。その中で、高岡の商人と職人が結びついて銅器や漆器などのものづくりが発展し、高岡御車山祭などの文化とともに今に受け継がれています。国宝 勝興寺は、出家して13代住職となっていた加賀前田家6代当主の10男 治脩(はるなが)が加賀藩主となるなど、加賀前田家や本願寺、公家等とも関係を持ちながら権勢を振るってきた真宗王国越中を象徴する大型寺院です。広大な境内において、本堂、大広間及び式台の2棟が国宝に、10棟が重要文化財に指定されています。日本遺産の物語について、詳しくはこちらからご覧いただけます。加賀前田家北前船また、高岡に集められた米などは伏木港から日本海を通じて全国に運ばれました。伏木港の特徴的な交易品は高岡産の鉄■で、ニシン加工などに使われ、現在でも北海道沿岸の各地に残されています。伏木にはかつて北前船の■船問屋が立ち並び、現在も祭礼、民謡など、北前船によってもたらされた豊かさや心意気が残ります。これらの歴史は、「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡―人、技、心―」、「荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」の2つの物語として、日本遺産に認定されています。近世高岡の文化遺産を愛する会本会は、「近世高岡の文化遺産群」の世界文化遺産登録の実現をめざし、高岡市民の共通の文化資産(宝)である勝興寺、瑞龍寺、高岡城跡、前田利長墓所などを中心とした文化遺産群への市民の関心並びに保護意識の醸成を図ることを目的として活動しています。SweetsKITAMAE-BUNEホームページ10Column
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