「」食 品菓 子工 芸 品FoodsSweetsCrafts10高岡を体感するモデルコースはこちらからご覧いただけます。KITAMAE-BUNE高岡は商工業で発展し、町民によって文化が興り受け継がれてきた都市です。高岡城が廃城となり、繁栄が危ぶまれたところで加賀藩は商工本位の町への転換政策を実施し、浮足立つ町民に活を入れました。鋳物や漆工などの独自生産力を高める一方、穀倉地帯を控え、米などの物資を運ぶ良港を持ち、米や綿、肥料などの取引拠点として高岡は「加賀藩の台所」と呼ばれる程の隆盛を極めます。町民は、固有の祭礼など、地域にその富を還元し、町民自身が担う文化を形成しました。町民の町として発展し続け、現在でも町割り、街道筋、町並み、生業や伝統行事などに、高岡町民の歩みが色濃く残されています。国宝 勝興寺は、出家して13代住職となっていた加賀前田家6代当主の10男 治脩(はるなが)が加賀藩主となるなど、加賀前田家や本願寺、公家等とも関係を持ちながら権勢を振るってきた真宗王国越中を象徴する大型寺院です。広大な境内において、本堂、大広間及び式台の2棟が国宝に、10棟が重要文化財に指定されています。日本遺産の物語について、詳しくはこちらからご覧いただけます。日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。近世高岡の文化遺産を愛する会本会は、「近世高岡の文化遺産群」の世界文化遺産登録の実現をめざし、高岡市民の共通の文化資産(宝)である勝興寺、瑞龍寺、高岡城跡、前田利長墓所などを中心とした文化遺産群への市民の関心並びに保護意識の醸成を図ることを目的として活動しています。Column
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